社長ブログ

203高地
乃木希典大将が日露戦争時の旅順攻略戦で戦った、203高地を訪ねた。ここで彼は多くの部下と共に息子 勝典と保典をも失った。
乃木大将は1849年、江戸長州上屋敷で生まれた。現在の六本木ヒルズの場所である。その後、下関市長府へ帰郷、報国隊へ入り奇兵隊へ合流し幕府軍と戦い、維新後 陸軍へ入り1871年陸軍少佐となる。歩兵第14連隊長として西南戦争を戦い、日清・日露戦争を戦った。
203高地
 旅順攻略後、ロシア側のステッセル将軍と行なった水師営の会見の場所には、当時の建物が再現してあり、保存されてあった。
 後に、学習院院長となり、1912年の明治天皇崩御の折に、妻静子と共に割腹し殉死した。
吉田松陰の本家 玉木家とは縁戚にあたる。
明治維新以降、たった26年で日清戦争を戦い、後10年後に日露戦争を戦うという大きな歴史のうねりの中に飲み込まれていった日本を見ると、正に激動の時代である。
 上の写真が203高地に乃木将軍が建てた顕彰碑(璽霊山)。写真下はステッセル将軍と会見した建物。