社長ブログ

本社建物周辺 花いっぱい作戦(Ⅰ)

本社建物周辺
 本社の4階建てビルの建っている敷地は、約300坪あります。その横に昨年夏に事業用借地をし、ファミリーマートを誘致OPENした土地が約200坪あります。その横のファミリーマートと安成社員の通勤車両用駐車場用地として事業用借地させて頂いている土地が約270坪。
北側には、「下関・木の家づくり展示館」の建物が建っている土地が約360坪あります。合計1,130坪近い本社周辺を季節の花で埋める作戦をひそかに立てて(公言せずに・・・)実行してきました。
それが徐々に成果を表し、道行く方から、「安成さんはいつも花が咲いていていいわ・・・」などとお誉めの言葉を頂くようになりました。
昭和59年(1984年)、今から29年前に本社ビルを建てたときの、最初の考えをお話ししたいと思います。
 当時、安成工務店は下関支店を出して12年目。下関支店の社員はたしか6名?売り上げは2憶円程度だった思います。本社を移転した直接のきっかけは「豊北原発問題」でした。昭和53年以降、それまで本社のあった豊北町が原発の誘致の是非で揺れ、賛成派と反対派が大きく争っていました。当時、保守派は賛成派で先代社長も町が豊かになるなら・・。と賛成側で運動をしていました。結果、先代が推していた候補が敗れ、以降豊北町の原発立地は廃案になり、現在では県東部の上関で計画が進められているわけです。
しかし、その選挙のしこりか?豊北町の公共工事から安成工務店が排除されたのです。当時町内で最も実績のある建設会社としては最大手の私たちが理由もなく私怨により排斥されたことは、私たちにとって大きな心の痛手でした。町民の税金で運営される公的な行政運営がこのようなかたちで私企業を排斥するのか?大きな憤りを覚えたことは今も忘れていません。
以降、私たちは「脱公共。民間志向」へ大きく舵を切るとともに、「脱政治。脱権力。すべてとフラットな立ち位置を目指す。」会社となりました。
 本社ビル計画に話を戻します。
当時6名のスタッフにも関わらず、思いっきり夢を詰め込みました。ビルの大きさは建築制限いっぱいの4階。6名しかいないのに50名は勤務できる規模。外観は20年も30年も経っても古びないデザインで徹底的にコストダウンをするためにスクエアーなデザインで劣化しないテクスチャー・・・・。
 前面道路は国道191号線だけど歩道には街路樹がないため、敷地内に街路樹をつくろうと考えて欅の街路樹と緑地スペースを計画しました。いつか隣に新しい建物が計画される際に、同じように街路樹を植えてくれたら・・・。その街路樹が何時の日にか綾羅木駅までつながったら、この通りはけっこうきれいな通りになるかもしれない・・・。
建物周辺には花を植えよう。いつも綺麗に掃除してあって、季節の花にあふれる。それが建物をつくることを生業とする安成工務店の本社事務所。
このような思いは、住宅建築やその他の自社設計の建物計画時にでも同様です。いつも私が社員に言うのは外構計画はどうなっている?どんな木を植えるのか?もっと大きな木を植えよう。です。
街路樹の大きさや形態はそのまちの文化だと思います。熊本市や福岡市の街路樹の見事さを見ると下関市はかなりさびしい気がします。
 私の頭の中には、緑にあふれた街の姿があります。春が芽吹き、新緑でモリモリした木々や森を見るたびに生き返るような気分になれるのは、私が山の中で育ったからかもしれません。
本社周辺の花いっぱい作戦。その1でした。