社長ブログ

「九州木の家づくり協同組合」の総会を開催した。会場は福中協(福岡中小建設業協同組合)さんの福岡市の事務所をお借りした。
「九州木の家づくり協同組合」は、大分県上津江村の第三セクターの林業会社㈱トライウッドを囲む工務店の商流を支援するために平成9年に設立した。九州各県をまたぐ協同組合は県の承認ではなく、総務省の認可となるためずいぶん苦労したことを思い出す。当時、NPO法人がまだなく、協同組合の目的を「山と工務店とまちのユーザーをつなぐ」としたところ、担当者から、「そもそも協同組合は同業者のメリットを高めるのが目的なので、ユーザーの利益は除外しなさい。」と言われたこともその一つだ。
もし、あの時にNPOがあれば迷わずNPO法人として設立していたに違いない。
林産地と連携をとった家づくりの歴史はまだまだ30年くらい前にさかのぼる程度である。もっとも、太古から昭和40年まではずっと林産地と連携をとった家づくりだった。言いかえれば林産地との連携が取れなかった期間は、昭和40年~昭和60年ぐらいの20年間かもしれない。
1945年(昭和20年)戦争に負けた日本は、民主化の名のもとにアメリカの押しつけた価値観で自らの頭の中を塗り替えた。今でも私たち自身、アジア人などの黄色人種と欧米の白人を見るとき、どんな外国人でも白人にカッコよさを感じるのは、このころのフレーミングとしての社会感のなせる技だと思う。不思議なものだ。私も、若いころ和風なものには興味がなく、プロポーションの良い洋風住宅にあこがれたものである。実際、昭和60年代の始め、2×4住宅を手掛け、直接輸入を試み、社員をカナダのトロント市へ1年間派遣した経験がある。
昭和50年代の後半、現代計画研究所の藤本先生が林産地や大工さんと連携した民家型工法を提唱され、その後第1次産直住宅ブームが起こった。平成8年ごろから環境問題の認識が進み「近くの山の木で家をつくる運動」が始まった
環境共生住宅を平成元年から手掛けていた安成工務店は、徐々にパッシブ思想を進化させ、平成8年に大分県上津江村の井上村長さんとの出会いきっかけに、林産地との連携を深めた「木の家」へ本格的に入ることとなった。
取引を開始したものの、山にもっと大きな需要を約束する必要に迫られ工務店仲間を集め協同組合設立となったわけである。
設立から14年。私たちの取り組みが評価され、昨年は林野長官表彰を頂いたり、ネットワークのモデル事例が注目を浴び始めた。
木材は成長過程でCO2を吸収します。成木となると急にCO2吸収能力が落ちるため、伐採し新たな植林を行うことが求められています。
良く「国産材を使うことが環境破壊にならないの?」と聞かれるが、それは全く誤解で、定期的な伐採と植林が新の環境保護のなるわけです。安成工務店では、これからも林産地を元気にする活動を続けながら、地球温暖化に貢献していきたいと思っています。