社長ブログ

2012年6月20日|カテゴリー「社長ブログ
林産地連携
  トライ・ウッドを訪れる4~5年前に隣町の小国町に大型木造建築物の視察に訪れた事がある。熊本県は1988年(昭和63年)、当時の細川知事がアートポリス構想を掲げて、有名建築家を起用したデザイン的に優れた「建築」の町おこしを実践しており、それらに呼応するかたちで小国町では木魂館や道の駅小国ゆうステーションや小国ドームなどの大型木造建築が建設され、あたらな地域資源の掘り起こしを行い観光客を集めており全国的に見ても進んだ地域としてのイメージがあった。
 平成8年から、トライ・ウッドと安成工務店とは、林産地や伐採時期、そして山から材料を下ろして製材する人たちなどの顔が見える関係性の中で、吟味して家をつくるために、品質の向上やそれら安心の証明を行うための、一歩進んだ林産地連携を始めたわけである。
 安成工務店はトライ・ウッドに出会った翌年から林産地連携の家づくりを始めた訳だが、全国的には平成13年(2001年)、OMソーラー協会を中心として「近くの山の木で家をつくる運動」が始まった。元旦の朝日新聞の見開き紙面に掲載された、近くの山の木で家をづくる運動千人宣言として2,271人の参同のもと人文字で山を作ったその中に自分の名前を探し出して新たな会社の方向性を俯瞰して嬉しくなったものだ。
  トライ・ウッドが第三セクターであったことも幸いした。設備投資の手を止めず、よりよい製品を生み出すことにひたすら情熱をかけて頂いた。
柱・梁桁材としての集成材やトラパネ(幅はぎパネル)の開発、更には、「輪掛け乾燥」と命名した天然乾燥システムの構築など、お客さまのニーズを踏まえた私たちの要望にそう仕組みをつくって頂いた。
 平成8年に開始した、「森林体験ツアー」も15年以上を経て、現在で春・秋の日帰りツアーと夏の1泊2日のツアーの3回が定着してきた。これまで40回以上、述べ2,700名を超える街に住む人々を山にご案内をすることができたことは、私たちの大きな誇りである。
林産地連携から始まった「木の家」づくりは、徐々に進化し自然素材率を高め、デザインを磨き、安成の家づくりのスタイルを確立する礎になった。
2012年6月15日|カテゴリー「社長ブログ
林産地連携
 平成7年、大分県上津江村の若き村長でもあり、村を挙げて取り組んでいる第三セクターの林業会社㈱トライ・ウッドの社長さんでもある井上伸史さんが、浜松のOMソーラー協会を訪ねてこられた。目的はまだ設立して間がないトライ・ウッドの新規納材先の営業相談である。
 
 山口・九州なら安成工務店を紹介しようということで、2月の寒い日に、熊本県菊池温泉のホテルで会食をした。上津江村の事、トライウッドの事、OMソーラーの事、安成工務店の事を遅くまで話し合った記憶がある。そして翌日はいよいよ山を越えて初めて上津江村へ入った。
 上津江村は阿蘇の外輪山の北東にあり、大分県日田市から1時間、熊本県菊池市から1時間、熊本市から1時間の距離にある。
 外輪山の北東の斜面に清流がありその山あいの川沿いの合間合間に民家が点在している。どこにも村の中心部はなく、村役場周辺も民家が5~6軒ぐらいしかない。山口県の山あいの町に生まれ育った私でも、あまりの山奥ぶりにたいそう驚いた記憶がある。
 村の人たちはとても素朴で一体感にあふれ、山仕事へかける情熱はなみなみならぬものがあった。林業に対する熱い思いを聞き、その材木を使って家を建てる職人のDNAが刺激され上津江村と連携した家づくりを本気で考え始めた。 
 まず、筑後川の最上流であり、日田杉で名高い日田郡の最上流の上津江村の杉材を日田杉と呼ばずに新たに「津江杉」と名付け、まちとの連携の拠点にトライ・ウッドを位置づけた。
2012年6月10日|カテゴリー「社長ブログ
安成工務店グループ 社員旅行
 安成工務店グループは10数年前から、日常業務でお客様にご迷惑をかけてはいけない、と3班に分かれて社員旅行を実施している。たまにはグループ全員一緒に宿泊し大宴会をしよう。との声は出るものの、なかなか実行出来ていない。
 今回は6月の第1週目の水木金の2泊3日を第1班とし、第2週、第3週と3班に分かれて、台湾旅行となった。社員のアンケートの希望者が最も多かった旅行先である。私は1班。総勢43名である。
安成工務店デコスハウスドクター山口エコビルドの4社の社員数は185名。自己都合や仕事の都合で欠席が約3割、結局1班が43名となった。
安成工務店グループ 社員旅行
オークス建設は7月に韓国斉州島でゴルフ旅行、アスティ・ケアは介護事業の都合上、旅行はなし。(来年からは仕事に支障のない人数にチーム分けしてでもどこかに連れて行ってやりたい…。)
 初日、桃園国際空港でデコス東京組2名と合流、そのまま新幹線で高雄へ1時間半の移動。日本製の新幹線車両と言うこともあるが、まさに博多から鹿児島に行くイメージである。(広い平野が広がるところが違うが…。)
高雄では海鮮料理に舌鼓をうち夜市を楽しみ、スプレンダーホテル高雄(写真)に泊まり、翌日はまたもや新幹線で台北へ戻る強行軍。故宮博物館では有名な、翠玉白菜・肉形石・象牙透套球・象牙透彫四層堤食盆や青磁類もじっくり見ることができた。近年、中国からの騒がしい観光客が多く、行列でなかなか見ることが出来ないらしく、たまたま混雑してなくてラッキーだった。忠烈祠で衛兵交代式を見て記念撮影。101ビルで夜景を楽しんで2日目終了。
最終日は飲茶を頂き、買い物をして空港へ。好天に恵まれ、あっと言う間に楽しい旅行が終わりました。
 来週からの第2班、第3班も楽しい旅行になるように祈っています。
さあ、明日から仕事だ、出張だ。
2012年5月28日|カテゴリー「社長ブログ
第63回 全国植樹祭
 第63回全国植樹祭が天皇皇后両陛下のご臨席のもと、山口県山口市阿知須のきらら浜で開催された。
 前回の山口県開催は昭和31年との事。まさに私の年と同じ56年ぶりの開催がそうだ。
林野庁林政審議員の立場で特別招待者としてAのテントで国会議員の先生方の5列後ろで式典に参加させて頂いた。
天皇陛下のお手植えのようす
営々と続いてきた森を守る国を挙げての運動が、戦後の荒れ果てた故郷の山々を、このような緑あふれる豊かな山にしたのだと心が熱くなる。
特に、日の丸の小旗を振って、天皇皇后両陛下をお迎えし、国家を斉唱するする際は、これまでの国歌斉唱の何倍も感動した。
式典後の御座所
 日本人に誇りが失われかけている・・・。と言われて久しいが、我々世代が、個人の自由こそすべてとする風潮から、親族と個人、会社と個人、地域と個人、更には国と個人の関係性についてもっと若い人に教えていかなければならないと思う。そのような関係性の中で誇りの芽が育つからだ。
 式の後には2万人を超える招待者による植樹が行われ、フェスタ会場には山口県の各市町村の特産品ピーアールや販売コーナーや各団体の出展などが行われ、一般の来場者も多く大混雑のにぎわいをみせてした。
写真上は座席から見た、天皇皇后御座所席、中は天皇陛下のお手植えのようす、下は式典後の御座所。
2012年5月19日|カテゴリー「社長ブログ
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 5月19日(土曜日)、有楽町の国際フォーラムで第13回JCA(日本セルロースファイバー断熱施工協会)の総会が開催された。
顧問の坂本雄三先生が東京大学教授から建築研究所理事長に就任されて初めての総会である。坂本先生・建材試験センターの黒木所長ともこれまで13年の長きにわたり総会にすべて出席して頂いている。このことは我々JCAメンバーにとってとても心強い事である。
 もともと、JCAは「断熱は施工が命」と考えるデコスがリードして、オールJAPANのセルロースファイバーの施工者を対象として、その施工能力技術の向上や完全施工性を写真報告システムで担保するとともに、壁体内の無結露を保証するなどを目的として設立した。
当時は、「施工が命」とは言っても、断熱材メーカーは材料の断熱性能は保証しても、それがどのように施工されているか?については施工社任せでしかなく、工務店の断熱材に対する意識啓蒙が進んでおらず、温熱性能についての意欲は低いものでした。
その後、住宅性能保証制度が出来、温熱性能が問われ、更に長期優良住宅認定制度が出来、徐々に意識が高まってきた。そして、今年から始まるゼロエネ住宅補助金制度などで、やっと次世代基準以上の断熱性能を求められるようになった訳である。
 現在の国交省の住宅政策の基本は、より高い基準を満たそうとする工務店に有利な政策を用意するといった「トップランナー優位政策」である。
これは我々のようなチャレンジする工務店にとっては、よりやる気がでる政策であり、大変嬉しい政策である。
 今回の総会の基調講演は、国交省の健康維持増進住宅研究委員会やLCCM住宅の研究会のチームリーダーを務めておられる慶応大学の伊香賀俊治先生と住宅技術評論家の南雄三さんのお二人にお願いした。
おかげで今後の住宅政策を解りやすく説明して頂き、JCAメンバーのベンチマークはより鮮明になった。
 「断熱は施工こそ命」この意味を再確認した総会であった。
2012年5月15日|カテゴリー「社長ブログ
薔薇の館
 今年も、「下関木の家づくり展示館」はとても美しく薔薇が咲き乱れ・・・。「薔薇の館」になりました。
先日もエコショップCOM(木夢)に視察に見えた同業者を案内していたら、通りがかりのお二人のおばあちゃんが、ぐるりと薔薇を見ながらエコショップに入ってこられました。
外で立ち話をしている人や、通りがかりに佇んで薔薇を見ている人がちらほら見受けられます。
「今年も綺麗に咲きましたね・・・。」と手入れをしている下関ガーデニングカレッジの生徒さんたちと立ち話をされるようすを見ると、「環境共生」を掲げ四半世紀歩んできた地域の工務店の社長としてとても嬉しくなります。
(※下関ガーデニングカレッジは、これまでのガーデナー養成講座がリニューアルされH24/4に開校した毎月1回 12回開催される新たな講座です。)
2012年5月7日|カテゴリー「社長ブログ
OMソーラーハウス
 平成元年、OMソーラーハウスに取り組んでまず行ったのは部屋の温度を測る事。それまで言葉では快適な家を造ります。と言いながら、室温の測定すら行ったことがなかったのです。
OMソーラーは太陽の熱を屋根面で集熱し、温まった空気をダクトで床下に送り全室暖房を行う仕組み。限られた太陽の熱を有効に生かすためには、どのくらい熱量が採れてどのくらいの部屋を暖める事が出来るか?という、設計段階での温熱シミュレーションがとても大切です。大学の環境工学では空気の流れや熱の伝わり方を学ぶものの、それらを活かして住宅の設計を行う事は、当時皆無で、日本で最も先進的な取組みでした。
 ところが問題発生。空気が漏れないようなきちんとした施工をしても、シミュレーション通りの室温が得られないのです。問題は窓の断熱性能が不足していると判明。早速、ペアガラスを全棟に採用することを決めました。(当時は断熱サッシではなく普通のサッシにガラスのみペア施工をしていた。)
 次に問題となったのは壁の断熱。当時はグラスウールを採用していたが、現場に行くとコンセント周りや配管・配線周り、端部に隙間があることが判明。早速、メーカーの担当者を講師に招き、大工さんを集めて断熱講習を実施。「よし、これでバッチリ。」と思い、現場に行くと・・・。「気をつけて施工しているのですが・・・。やはり隙間なく施工するのは無理があります。」との声。
そのとき思い知ったのは、「メーカーが言う断熱性能は100%完全に施工されることが前提。一方、施工は工務店の責任。ならば完全に施工できる断熱材を探さなくては・・・?」と言う事。
それから断熱材探しが始まりました。より完全に施工できる工法を3種類発見。一つはウレタン樹脂を壁の中で発泡する工法。もう一つはマット状のグラスウールではなく吹込み用のグラスウールを壁に吹き込むBIB工法。そして新聞紙をリサイクルしたセルロースファイバーを壁に吹き込む工法。
結果、木質繊維が残り、調湿や吸音性能も併せ持つセルロースファイバー断熱材の乾式吹込み工法を採用することを決め、計画していた自宅にテスト採用しました。
施工性はバッチリで、壁の中に完全に充填出来ることが経営者としてなによりも安心でした。翌年、全棟に採用を決め、専門的に施工を担当する施工班を設置(セルダン事業部)したのです。
当初、工事担当者は、コストアップになることや工程に配慮しなくてはならないことを挙げて反対でしたが、夏の暑さや冬の寒さの中で最も長時間、建築中の住宅の中で仕事する大工さんが、その断熱性能を大絶賛。早く施工をしてくれとの声に押され、工事担当者も太鼓判を押すに至りました。
これが平成6年の事。以来、18年間、全棟すべてにセルロースファイバー断熱材で充填断熱しています。
良いものは不変です。
2012年4月23日|カテゴリー「社長ブログ
OMソーラーハウス
 気がついてみたら、プレハブメーカーの後追いの家づくりをしていた昭和60年初頭。プレハブメーカーと比較して、デザインも価格も負けません。プランの自由度はもっと高いですよ・・・。と営業していた頃、地域の工務店としてどのような家づくりをすべきか思い悩む毎日だった。
  そんな時、目にとまった1通のダイレクトメール。~太陽の熱を建築の工夫で住まいに活かす・・・OMソーラーシステム~。予定が入っていたので品谷設計部長に代理参加してもらい、反応を聞くと「是非、社長も直接聞いてほしい・・。」との事。
そこで次の浜松で開催されたセミナーに参加することとした。
 人生を変える出会い・・。平成元年、OMソーラーシステムの開発者東京芸術大学名誉教授 奥村昭雄先生との出会いはまさにそのような出会いであった。奥村先生は「建築のちょっとした工夫で自然エネルギーを活かす事が出来る。」「この技術はプレハブメーカーなどの大手の住宅メーカーではなく地域の工務店によって広げて欲しい。」「本来、住宅は地域のを知り尽くした工務店が地域の材料で建てるべきだ。」とおっしゃった。
これらの言葉は今でも、耳の奥に残って消えない。
 安成工務店の家づくりの方向性がこの時、定まった。OMソーラーに取組む過程で学んだ多くの事・・・。環境と共生する家づくり・・・。環境共生住宅のジャンルに踏み込んだこの時から、安成工務店の家づくりの背骨を「地域主義」が貫いた。
 今では、OMソーラーハウスの引渡し実績は1,000棟を超え、全国のOMソーラーの仲間の中で最も多い実績を有する会社となった。
 この責任を果たすため更なる努力を続けて行く覚悟である。
2012年4月18日|カテゴリー「社長ブログ
JCA勉強会(inメルパルク京都)
 関連会社のデコスは新聞紙をリサイクルした、セルロースファイバー断熱材=デコスドライ工法を開発し、全国に施工代理店網を持ち工務店へ向けた断熱材施工を行っている。
昨年の実績で3,300棟を供給しており、これは全国で昨年1年間に建てられた在来木造住宅32万戸の約1%にあたる。
断熱材は施工が命である。ほとんどの断熱材がいろいろグレードがあるが、同一グレードで比較すると性能的には大差ない。
施工方法で見ると、①専門施工業者が責任施工するタイプ。②工務店が各自大工さんやその他職人さんで施工するタイプ。の2つがある。
 デコスでは、施工が最も大切だと考えており、施工研修を経た専門の施工者が責任施工を行う体制を整えている。
その施工代理店を擁する組織が、日本セルロースファイバー断熱施工協会=JCAである。
JCAでは、ブローイングピックと称する施工競技会や今日のような勉強会を定期的に開催している。また、施工者の技術認定制度や施工写真の一元管理などを行っている。
午後1時半から夕方の5時まで勉強会は熱心に続いている。
2012年4月13日|カテゴリー「社長ブログ
 私が先代の急逝に伴い副社長から社長となったのは昭和63年6月。あと2カ月で25年となる。
無我夢中で会社経営を行ってきた。未だに改善しなければならないテーマも多いが、多くの部分でお客様によりよい住まいを提供し得る力もついてきた。また、全国レベルで比較して、最先端の家づくりを行っていると自負している。
 これまで、より良い住まいのために意思決定してきた7つの大きな項目がある。先日のブログで少しふれたが、今日はこのなかの一つに詳しく触れてみたい。
【意思決定 その1】 設計・施工体制の確立(社内に設計事務所を置き、自社設計&施工を行う)
 これは住宅のみならず、弊社の建築事業部にも共通な考え方である。昭和58年より設計施工体制を敷いた。すでに30年近い実績があり、現在では全社員の約25%が設計・インテリアコーディネイターなどの設計要員である。弊社は営業社員が少なく、設計の担当者が早い時期から、お客様と家づくりを進めるしくみをとっており、それが特徴とも言えるかもしれない。
設計チームが充実しているため、設計コンペなども得意としている。建築事業部では、医療建築や高齢者居住施設や保育園などでこれまで設計コンペで勝ち取り、設計施工を行った実績があり多くある。
 一番重きを置くところは「デザイン」、次に「コストパフォーマンス」である。私は、工務店の設計力がデザイン的にも経済設計面からも高ければ、設計施工が最も良い手法だと考えている。例えば、建て主が自ら設計士で自分の家を設計し建築も行ったとしたら、建て主の満足度は最高値になるはずである。奥さんの満足度はどうか?は別だが。
 安成工務店の営業・設計・コーディネイター、そして工事担当者と建て主であるお客様、この2者・5名が意見を戦わせて、よりより唯一の「邸宅」を紡ぎ出す。これが我々の仕事の仕方である。
2012年4月7日|カテゴリー「社長ブログ
有村政時さん
 今年3月に雇用契約を終え、68歳で退職された「ありさん」(有村政時さん)が退職の挨拶に見えた。安成工務店の住宅事業部に無くてはならない重要な仕事に長く従事して頂いていたこともあり、懐かしく思い出話をした。
 「ありさん」は昭和60年に安成工務店の木工部(当時大工さんが社員だった)に入社して大工として住宅の上棟から仕上げまでを担当してもらった。平成元年に先代が残した、新設のプレカット工場(と言っても全自動でなく大工の加工小屋が進化し仕口加工の機械をそろえた程度)の所長として、構造材加工の指揮をとり、江原、岡田の優秀な若手を育てた後に、平成12年に安成工務店住宅事業部設計係長に就任してもらった。仕事は構造設計である。
 日本の高校や大学の建築科は木造住宅教育に力を入れておらず、木造の構造木組みを理解している設計者は極めて少ないのが現状である。「ありさん」の大工としての経験やプレカットの構造加工の経験を活かし、安成工務店住宅事業部の設計案件の構造設計を統括してもらうことがねらいであった。
 それから、平成17年にプレカット工場を新築移転した際に設計センターを併設し、プレカットに一番近いところで実施設計を行う体制を敷いた。丁度定年を迎えた「ありさん」には定年後の再雇用制度で引き続き実務と若手の育成をお願いした。それから8年。もう、そろそろ・・・。との声を受けて今度こそ退職・・・。となった。
 ありさんのすごいところは、パソコンをマスターし少々の構造計算はエクセルでソフトを組み、自在に仕事をすること、と、穏やかな人から愛される人望である。
大工でも現場監督でも「職人」的な思考から、年齢と共に成長し管理や営業などの幅広い仕事にスキルアップすることが大切だとつくづく思う。会社が時代の要請に合うように成長するためには、社員が成長するしかないわけだ。
 これまで、安成工務店の家づくりで、社長として安心のための大きな意思決定を過去に7つほど行った。その中の二つは自社プレカット加工体制と自社設計体制。その両方に「ありさん」は大きく関わり、実績を上げ、後継者を育ててくれた。
長いあいだご苦労さま。お疲れ様でした。豊かな老後を楽しんでください。
また、安成工務店をもっとお客様に愛され社会に必要とされる会社にしますので、これからも応援してください。
2012年4月6日|カテゴリー「社長ブログ
福岡支店
 福岡支店を開設して今年で9年目になる。
最初は博多区千代の県庁近くの賃貸マンションを1室借りて、2名の営業マンを送り込み福岡事務所を開設した。地縁も血縁もない中、行ったことはひたすら不動産業者さんを回ることだった。「リバティハウス」と名付けた低層3F建ての鉄筋コンクリート造賃貸マンションの規格商品のピーアールを兼ねて、土地活用を検討していいるオーナーさんの紹介をお願いした。当時の2人には苦労をかけたと思っている。
 それから2年たった2003年、満を持して住宅部隊を送り込み、事務所も博多駅南1丁目のビルの1Fを賃貸して福岡支店をOPENした。
当時から賃貸ではなく自社ビルを持ちたいと考え、いろいろ探す中、筑紫通りときよみ通りがクロスする山王2丁目交差点沿いに鉄筋コンクリート5F建ての1・2Fが事務所、3・4Fが賃貸マンションの物件を見つけ、土地建物を購入し、平成18年10月16日に移転OPENした。
1Fが建築事業部、2Fが住宅事業部である。
その後、博多南区大楠にあった関連会社のオークス建設を移転し、安成工務店福岡支店ビルに同居することとした。

現在、この事務所には安成工務店福岡支店とオークス建設の2社が入り、3F・4Fは独身寮として12名の社員が入居している。
このビルの在籍者数は安成工務店29名、オークス建設20名の合計49名である。
博多西区下山門には関連会社のアスティ・ケアが運営する高専賃と介護事業所があり24名の社員がいる。福岡に在籍する合計73名の社員数は安成工務店グループ6社の総社員数の32%に当たる。売上で見るとグループ6社合計122億円の約40%となる。
人口減少社会に突入した今、まだまだ人口が増え続ける福岡エリアはとても魅力的である。少しずつ力を入れ、シェアを伸ばし、お客様と地域と社会と時代に必要とされる企業を目指したい。
2012年3月17日|カテゴリー「社長ブログ
ゴルフ
自己紹介などのプロフィール欄の趣味に、以前はクレー射撃・読書と書いていた。昨年、銃砲所持許可の更新申請を忘れ、免許失効となってしまった。つまり現在はクレー用の散弾銃は友人の紺箭さんが経営する銃砲火薬店さんに預け、いつ銃砲所持免許の講習を受けようかと思案している。つまり再取得が叶うまでクレー射撃とは書けないわけだ。
代わりに、趣味はゴルフと書いてもいいのでは?と自ら納得するくらいゴルフが面白くなってきた。以前は、親しい友人から誘われて嫌々に年に数回ラウンドするだけで、お付き合いのゴルフは専務や常務に積極的に譲ってきた。しかし、ふと見るといつまでも下手のままは私で、専務や常務や部長はどんどん上手くなって行く・・・・。
 「いや、今度は私が行こう。」と参加が増えるに従って、だんだん面白くなってきた。昨年の1月には30だったハンディキャップが12月には20になり、人様にもどうにかついて行けるようになった。
「お付き合いが広がって、健康にもいいからね。」以前はそんな言葉を聞いて、「ただゴルフが面白いだけやろう。」と私から茶化してきた。そんな友人たちに浴びせた言葉を、自分で口にする不思議?
これから徐々に暖かくなり、いよいよゴルフシーズンが始まる。今年の年末にはあと5つほどハンディキャップを縮めておきたいものだ。
2012年3月11日|カテゴリー「社長ブログ
 あれから丁度1年。
被災された多くの人たちはどのような思いで今日まで気持ちを繋げてこられたのだろうか?家族や友達、家や財産、思い出の全てを失い、喪失感の中でどういうふうに気持ちを繋いで1年間を過ごされたのだろうか・・・・?
丁度1年前の3月11日、午後2時46分。東京、神田本石町にあるデコスの東京officeで東北とは比べ物にならないだろうけど大きな揺れに遭遇した。私は、その日の内に東京を脱出しようと、神田から東京駅、有楽町、そして浜松町へと帰宅難民の波に交じって歩き続けた。途中で見るTV画像などで東北の津波がとても大きく被害が甚大であることを知る。
なんとも言えぬ不安感。このさき日本がどうなるのか?という恐ろしさが全身を支配する。徐々に判明する被害の大きさ。結果、多くのまちが消滅し、1万5千9百人もの人々が亡くなってしまった。
震災後、1年間に私たちが出来た事。沈み込んではダメだ。西日本から元気にしよう。と結局は自分の仕事にまい進しただけか?義捐金を会社や社員、協力業者の皆さんに呼び掛けて集めた。チャリティーゴルフも2回行った。今年も6月に3回目のチャリティーゴルフを予定しているが…。
9月半ばに陸前高田市のJCメンバー有志4名が安成工務店のエコタウンの視察に見えた。被災後の全て流されたまちの写真を見せて頂き、「ここに会社があった。」「会社の社印の入った金庫がここまで流されていた。」などと話を聞くなかで、それ以上の話を聞くのが恐ろしく言葉が出なかった。
 
なんと自然は恐ろしいものか?なんと人の力は小さなものか?
福島第一原発事故のことも、その放射能の実態被害がどの程度なのか?解らず仕舞いだ。
 
一日も早く、被災された方々のもとに笑顔が訪れますように。それだけを祈りたい。
2012年3月10日|カテゴリー「社長ブログ
トナカイ
 ラップランドはスカンジナビア半島北部からコラ半島にいたる地域で、伝統的にサーミ人が住んでいる地域を言うそうだ。
スウェーデン、ノルウェー、フィンランド、ロシアの4カ国にまたがっており、フィクションだがサンタクロースが住んでいる地域とされている。
今回はLaplandの中心的な街、フィンランドのサーリセルカが訪問地だ。企業訪問のついでに先方の社長の案内でオーロラを見ることが出来るかも・・・。と足を伸ばした。
温度は見た目の割にはそうでもなく、現時点で-5℃。
昨日からの細かい雪がまさにパウダースノー状態。スキーが好きな人にはたまらない場所のようだ。残念ながら私はスキーもスノーボードもまったく出来ず、とりあえずジェットスキーを楽しんだ。
夜はこちらの名物料理、トナカイのグリルをいただいた。
自然が厳しい分だけ、自然の一部の中で人間が生活を営んでいるにすぎない・・・。と言った感覚が胸に満ちてくる。貴重な時間を過ごす機会を得た。
人は自然の一部だという事をいつの間にか忘れ、人間中心の高慢な考え方になってしまう。近くの山の木で家をつくる。事や太陽熱や通風などの自然エネルギーをなるべく活かす住まいづくりなどを行う安成工務店の家づくり思想は、環境と共生する住まいにあるはずだ。
ずっと「パッシブ思想」を家づくりの中心に置いてきたことを「良かった。」と改めて思う。間違いではなかった。このまま、更に深めていこう。