私の手元に一枚の社内報があります。
黄ばんだ表紙のその社内報は、亡くなった父が、今から34年前に社内外報として出したもの。「やすらぎ」というタイトルがつけられています。
時あたかも石油ショックの時代。父は「あらゆるものが見直しの段階に入っているいま、一番大切なものはやすらぎではないでしょうか」と書いています。
やすらぎ。いま思えばこの目に見えない、形のないものを、建築を通して父も私もずっと追い続けてきたような気がしてなりません。
父の代から数えて60年が経ちました。そして最近私は「いい家に住めば幸せになれるのか」と考えるようになりました。小さな家でも、不便な家でも、幸せに暮らしている人は大勢いる。だとすれば私たちは、自分たちがつくる家に何を吹き込めばいいのか。
かつて父はそれを「やすらぎ」だと言いました。私は私自身の言葉で「それ」を語るために、まだもう少し先へと、歩き続けなければなりません。
祖父の、曽祖父の、そのもっと前から営々と流れる長州人の血が、これからもきっと私を導いてくれることでしょう。愚直でひたむきな、愛すべき血が。