安成の歩み

第二章 成長 ~青年の情熱~


昭和56年、二代目の現社長・安成信次が入社。会社はそれに先駆ける昭和43年に株式会社となり、木造住宅だけでなく、鉄骨造やコンクリート造を手掛け、学校建築などの公共工事も受注していました。

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社員の大半は、兼業農家の主人や奥さんで、主な仕事を建設労務に置き、農繁期だけ農業に携わっていました。そのような建設業のあり方は、その当時の郡部においては当たり前の状況でした。

土工、基礎、型枠、鉄筋工、更には掃除・雑用なんでもこなす多能工集団、その100人が全員社員でまじめに仕事をするさまは、徐々に安成の評判を上げて行きました。

しかし、信次の目はさらに先をみつめていました。
信次の生まれた昭和31年、豊北町の人口は28,000人、それが会社に帰った時は22,000人。これが雪崩打って減っていくことが予想されました。

「これからの時代に対応していくために、我々は安成の伝統を守りつつも、大胆に変わっていかなくてはならない」。

その信念のもと、信次が音頭をとって始めたのが若手社員による「経営改革会議」。
有志が集まり、会社のこれからについて言いたいことを言い合うというもので、20代から40代の男たちの熱気が月に1度、夜中の事務所に充満しました。

設計の部署がなく、住宅見学会もしたことがない、やり方もわからないという状態。でも、「もっと成長したい」という気持ちがみんなの中にマグマみたいに渦巻いていた。それはとても楽しい議論でした。 当時をふりかえった信次の言葉です。