安成の歩み

第四章 模索 ~いい家とは何か~

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昭和59年(1984)、安成工務店は下関市綾羅木に新社屋を建設・移転。
豊北町から見ればはるかに大都会の下関に、私たちは「打って出る」ことになりました。
それは震えが止まらないほどの緊張感でした。 

当時取締役企画室長となっていた安成信次は、設計や財務管理にいち早くコンピュータを導入、周囲をはらはらさせるほどの大胆さで理想の会社づくりを推し進めていきました。 

ところが重大な問題がありました。民間で生きると言ったものの、ではそのために何をすればいいのか、どんな商品をつくればいいのかという肝心かなめの目標、すなわちコンセプトが、責任者の信次にとってさえ明確ではなかったのです。
プレハブメーカーの「おしゃれな家」に追いつけ追い越せの二番煎じ。

そうしながらも何かが違う、もっと地域に根ざした家づくりがあるはずだと、信次は悩み続けました。夢を追う信次、それをたしなめる先代信良。社長と役員だが親子ゆえに喧嘩が絶えない日々でした。

 「もう勝手にしろ!」

厳しく突き放されて2年が経過した頃、先代、信良が急逝したのです。 
自分を信じてやるしかない。
そんな覚悟を決めて1年が経過したある日、、運命的とも言える出会いがありました。
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OMソーラーの考案者・奥村昭雄先生との出会い。

地域ごとの気象データを解析して設計することや、太陽という自然のエネルギーを使うことなど、「これこそ自分が求めていたものだ」という直感が信次の中に走りました。 

自然の恵みを利用し、地域の気候風土によく合い、しかも地域環境を傷つけない家。 
この日からOMソーラーを使った家づくりを実現するための、安成工務店の戦いが始まりました。